| 実はこの内容は、大分以前に使おうと思っていたのですが...現実の英米によるイラク侵略が始まってしまい、お蔵入りになっていました。なんだかなぁ...
さて、第二次世界大戦勃発時、トライアンフはコベントリーに工場を置いていました。第一次世界大戦においてはオートバイはまだまだ予備役的扱いでしたが、信頼性が増したこの時代では1938年の時点で、政府から軍用オートバイのトライアル通知が発表されました。この要求に応えるかたちで作られたのがTiger85をベースにした350ccOHVツイン・「3TW」でした。E・ターナーは幾つかの画期的な機能をこの車体に盛り込みました。クランク・ギアケース一体のユニットモデル(市販モデルとしてはこの後20年間作られませんでした)、オルタネータ電装を備えたマシンの出来映えは、軍を充分に満足させるものでした(右写真が3TW)。
こうして3TWの生産が始まりました...が、50台の3TWが完成した1940年11月30日。400機にのぼるドイツ軍爆撃機が、英国の軍事工場が集まっていたコベントリーを爆撃しました。(このころ、コベントリー工場では航空機部品も生産していました)コベントリー工場は再建不可能なほどの大打撃を受け、3TWも灰と化しました。...この後、時代を先取りしていた伝説の名車は二度と作られることはありませんでした。
結局、トライアンフはウォーウィックに工場を移し、戦前モデルをベースにしたサイドバルブ単気筒350ccの3SWといったサイドバルブ軍用車を生産します。このころには挙国一致体制に入っており、BSAのM20(WM20)などとのパーツの共通化なども図られました。
しかし、市街地にあったウォーウィック工場は手狭で生産性が悪く、またさらなる爆撃の目標となりうることから、工場はさらに郊外のメリデン村に移転することになります。これがこの後40年にわたってのトライアンフの本拠地となるメリデン工場です。メリデンでは、スピードツインをサイドバルブ化した500ccの5TW、3SW、Type-HをもとにしたOHVヘッドの3HWなどを生産しました。また、民間からの車両の徴用も行われました。上の大写真はダンケルクの戦いのあとの急速のひとこま。写っているのは、3Sの民間モデルを3SWのパーツで補修した車体です。
結局、戦争終結までにトライアンフは50000台を軍に納入しました。戦後は大量の軍用モデルが余剰物となり、外装に手直しを加えて一般市場に出されることになりました。
悲しいことではありますが、技術が飛躍的に伸びるのも戦争の時代。この時代、トライアンフで開発された後に繋がる技術としては、たとえばAAPP(Airborne Auxiliary Power Plant)という二気筒エンジンがあります。これは英空軍の爆撃機に搭載された二気筒発電機ですが、(航空機に搭載するため、という)軍からの軽量化要請を受け、当時難しかったアルミヘッドとシリンダーを用いた画期的なエンジンでした。後に、アーニー・リヨンズはこのAAPPのヘッドとシリンダーをT100に用い、戦後すぐ1946年のマン島TTで優勝しました。この技術は、後にTR5トロフィーにも用いられることになりました。
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