Bike of the Month -February-
Bonneville Salt Flats "Record Breaking" Streamliner 1956
 「トライアンフ」と言えばまずバイク乗りが連想するのは「ボンネビル」。そのボンネビルの名の元になったのは、ユタ州のボンネビル・フラットです。
 ソルトレーク湖は、アメリカ大陸が海底から持ち上がった時に出来た巨大な海水溜まりの残りです。従って、濃縮された塩分が飽和状態に近い「辛い湖」になっています。その近くにあるのが「ボンネビル・フラット」。広大な塩の平原です。雨が降って塩が溶け、その後照りつける太陽によって塩分が平らに固まる毎年夏の終わり頃には、この塩の平原は特に真っ平らな状態になります。そのため、2輪・4輪の最高速度チャレンジに最適な環境が整っているのです。(極高速では、わずかな道路の歪みが致命的な結果を引き起こします。)
 逆に最高速アタックに不利な点として、このボンネビル・フラットは標高1372mの地点にあるということ...エンジンパワーを引き出すには、この高度はマイナスに働きます。

 トライアンフが、このボンネビル・フラットにおける2輪部門の最高速度記録を最初に塗り替えたのは1956年。ジョニー・アレンがパイロットとなり、650ccのサンダーバードエンジンをベースにしたストリームライナーを駆って、344 km/hという速度を叩きだし、世界記録更新の偉業を成し遂げました(上写真)。(アレンは前年・1955年にもストリームライナーで記録に挑んでいますが、この時は310 km/hで記録更新はなりませんでした。)
 これは片道での記録だったため(ボンネビル・フラットの記録は往復で平均を出すという規定があるので)FIMの公式記録対象では無く、ギネスブックの記録に過ぎませんでしたが、それでもこれは「トライアンフ」というブランドの優秀性を世界に轟かせたエポックメイキングな事件でした。そしてこの偉業を称え、1959年にデビューした新型2気筒スポーツモデル"T120"には「ボンネビル」の名が与えられたのです。

 その後も最高速度記録への挑戦は続きました。1962年にはビル・ジョンソンが、まさに「ボンネビル」をベースとした新たなストリームライナーを駆り、往復平均361.40 km/hを叩きだし、記録を更新します。このマシンは車重180 kg、全長5 m、ホイールベースは240 cm、圧縮比11:1という、当時の技術の粋を凝らしたマシンでした。

 1966年にはボブ・レパンが2台の2気筒エンジンを搭載し、合計1300ccという怪物的なマシン「ジャイロノート X-1」を駆り、395.24 km/hの記録を樹立します。(FIM規定は1000ccまでだったので、これも公式記録ではありません。)
 レパンと彼のエンジニア,ジョー・ブルフローはデトロイトの大手トライアンフ・ディーラーでした。彼らはその後、エンジン三基を搭載したさらなる怪物を作り上げますが、434 km/hを記録したあたりでサスペンションが破損して大事故になり、レパンは重傷を負いました。

 大排気量車だけでは無く、小排気量車による挑戦もありました。1959年にはビル・マーティンが199cc単気筒のタイガー・カブをベースにし、往復平均225.01 km/hを叩き出します。片道では240 km/hを記録しています。

 そして現在に至るまで、ステキに阿呆なアメリカ人たちを中心に、トライアンフ・エンジンを使った挑戦は続いているのです。

←January 2003