Maker of the Month -September-
Royal Rnfield (1898?-1970, そして現代も)


  ロイヤル・エンフィールドは日本でもポピュラーなメーカーです。というのも、1950年代の車体が今でも新車で手に入れることが出来る、という特異な英国起源バイクだからです。
 しかし、逆に現在でも売られている「ビュレット」以外の車種に関してはファン以外には余り知られていません。そして、トライアンフ、AMCとロイヤル・エンフィールドが張り合った時代があったことも。
 今回はロイヤル・エンフィールドです。

 ロイヤルエンフィールド社(Royal Enfield, 以下RE)のもとになったのは19世紀半ば、ハントエンドに誕生した「ジョージ・タウンゼント&Co.(George Townsend &Co.)」です。ミシン針や機械部品の生産によって着実に業績を伸ばしたこの会社は1898年に「Enfield Cycle Company」として自転車の生産を始めました。1901年ごろには他社のエンジン(恐らくミネルバエンジンであったと言われています)を用いた、最初のオートバイを製作しています。このときの車体は、ステアリングヘッドにエンジンを搭載した前輪駆動車でした。この車体の生産は1905年に終了し、少し間が
空いて1910年には独自設計の425ccV−ツインエンジン(2.25馬力)を開発します。
 このエンジンは、機械式オイルポンプを搭載している点で他社に勝っていました。当時のオイルポンプは手動式であり、乗車中には定期的にポンプをシュコシュコやってオイルを送ってやらなければ、エンジンはすぐに焼き付いてしまったのです。

 しかし、このエンジンは1914年(WWI開戦の年)まで市販車に搭載されることは無く、改良が続けられました。第一次世界大戦勃発までに、REは770cc JAPエンジン、211cc,346ccのモデルを発売しますが、いずれも他社のエンジンを用いたものでした。
 1914年、ついにREは225ccの2スト単気筒車を発売しました。この225Lは2速ミッションを備えた車体で、スカートを履いた女性用のモデル(ママチャリの様にフレームのサドル前部分が下がっている)も発売されました。(ヨーロッパでは自転車が登場して以来、自転車やバイクに乗ることは乗馬と同じような意味合いがありました。そのため、当時から女性のライダーも普通に居たのです。このあたりは「さすが狩猟民族」と、農耕民族の我々からは感心するものがあります。)

 1924年には、最初の4ストローク単気筒350cc車を発売します。当初はJAPエンジンでしたが、すぐに独自設計の350ccサイドバルブ、及びOHVエンジンに置き換えられました。1927年までに、REは488ccエンジン・4速ギアボックス車を開発、このノウハウを受けて1928年に255cc2ストを、そして1931年になって現代も生産が続けられるRE車のルーツである4バルブ350cc4スト車を発表しました。
 さて、少し時代を巻き戻して、先ほど述べた1931年に発売された4スト350cc車に関してです。この車体は発売の翌年、1932年には「ビュレット(Bullet)」の名を与えられました。この初期型ビュレットにおいてはシリンダーは前傾し、この時代のデザインらしくバルブギアは露出していましたが、1935年の「G」モデルからは現代も販売されているものと基本的に同一のデザインとなり、直立シリンダーにプッシュロッドトンネルカバー、バルブギアカバーが装着されました。
 当時としては最先端だったギア駆動マグネトーや、エキセントリック・オイルポンプを備えていたのも特筆すべき点です。ビュレットはシリンダーヘッドによってバリエーションを作る方向を選択し、この後は2,3,4バルブのモデルがそれぞれ作製されました。大戦中はJFモデルに生産中心が移されましたが、1949年にはビュレットの生産が再開されています。
 この後も、146cc2ストの「サイカー(Cycar)」や1140ccV−ツインを発表しています。
 1936年、「JF」モデルが発表されます。4ストローク、4バルブ19馬力のこのエンジンは、現代でも充分に通用するほどの完成度の高いエンジンでした。しかしコスト上の問題から、第二次大戦開戦前には2バルブに落とされました。1939年には、570ccのモデルH(そしてそのサイドカー付き)が発売されます。戦時下でも汎用マシンを作るまでの余力が、この当時のREにはあったのでした。
 WWIIの間、REは主に陸軍の為に車体を生産しましたが、これらのモデルは市販車に手を加えただけのものでした。逆に言えば、それほど信頼性が高い構造だったわけです。
 戦後の1947年、REはテレスコピックフォークを備えたビュレットJ2モデルを発表します。そして翌48年には、トライアンフのスピードツインに対抗し、500ccツイン(後にインターセプターに発展)を発売。そして49年に新型ビュレットを発表します。これらのモデルは当時最先端のスイングアーム・リアサスペンションを備えていました。
 英国車の黄金時代の当時、REはこれ以外にも、2スト125cc、250ccOHV、650ccツイン「メテオMeteor」(なぜこんなにもメテオという呼称が流行っていたのでしょうか...というか、他の車体も各社の名称がカブりまくりですよね。当時の人々は混乱しなかったのでしょうか。)やクルセイダー・シリーズ(1957(1959?))を発売します。

 1955年には新しくなった工場で新型ビュレットの生産が始まります。56年から60年の間、ビュレットは様々なバリエーションモデルを生みます。その中には350ccのトライアル用ワークス・レプリカバージョンや、カウル付きの「エアフロー(Airflow)」などがありました。これらのバリエーションのエンジンは、ボアサイズを除いて基本的に同一で、シート、計器類、マフラー、ハンドルやタンクの違いなどによって区別されていました。またこの期間には、数え切れないほどのマイナーチェンジが繰り返され、現代も売られているREのかたちが完成しました。例えば56年にはダイナモがオルタネータに変更され、60年にはコイル点火になりました。
 クルセイダーはREにとって単なるバリエーションモデルでは無く、シングル・フラッグシップというに相応しいモデルでした。アルミシリンダー、新設計クランク、ビッグバルブ、ハイカム、そして7インチフロントブレーキ、大口径キャブと言った装備により、80mph(120km/h)前後のトップスピードをもつマシンでした。その後、クルセイダーはハイコンプ化、4速ミッションの5速化、フライスクリーンの装備などのマイナーチェンジを繰り返し、信頼性の高いエンジンと共に名車として評判が高くなりました。
 この時代、REはアメリカ市場の開拓を狙い、シングル&ツインモデルを「インディアン(Indian)」のブランドネームのもとに発売します。ビュレットもフューリー(Fury)の名前で売り出されました。アメリカ市場向けにボルトオン・アクセサリーを開発したり、とテコ入れをしましたが、売れ行きは今ひとつでした。

 業績不振のまま、1959年にはAMCがREのアメリカ子会社「インディアン・セールス・コーポレーション」を買い取り、一旦は進出の足がかりが消えたかに思われました。しかし1961年、カルフォルニアで行われたビッグベアー・エンデューロ大会でエディ・マルダーがエンフィールドを駆って優勝したことで、インディアンでは無くREの名前が認知されます。REは巻き返しを図って700ccのインターセプター(ツイン)、250ccのホーネット、そして500ccのフューリーを軸に、マーケティングを展開します。幸運なことに、さらにこの年はエリオット・シュルツがハーフマイル・ダートトラックでエンフィールドに乗って優勝したことで弾みがつきます。好調にセールスを伸ばしたREは、レースの分野でも活躍し、1961年のAMC主催39レースのうち31に優勝するまでに業績を伸ばしました。

 しかし、REの斜陽は既に始まっていました。原因はこの時代の英メーカー全てが抱えていた内憂...すなわち、バイクのことを何も知らない経営陣による販売戦略の不手際が重なったためです。
 1962年には会社は身売りされ、英国内でのビュレットの生産は終了します。他のモデルは継続生産されましたが、次々に変わるオーナーのもと、迷走が続きます。初期のクルセイダーをベースにした250ccカフェレーサー「コンティネンタルGT(Continental GT)」はその象徴とされています。ファイバーグラス製タンクが特徴的だったこのマシンは新しいアイデアに満ちてはいましたが、「実際には効果が無かった『フロントブレーキ冷却ディスク』」など、空回りしている部分が見て取れるものでした。確かに性能的には良好でしたし、英車としての斬新さは画期的でした...が、その直後に続々と登場した日本製クォーターマシンたちの前には性能もメカニズムも、全く相手にならなかったのです。
 インターセプターに代表されるパラレル/Vツインシリーズは、736ccにスープアップして販売を続けられます。しかし、これもより安価で、かつ高性能な日本車に駆逐されていったのでした。
 そして、代々のオーナーも経営を何とか立て直そうとしましたが、全て失敗に終わりました。1970年末、ついにロイヤル・エンフィールド社は倒産します。残っていた200基のインターセプター・エンジンはリックマン(メーカーではありませんが、フレームビルダーとして名を馳せたことに始まり、他社マシンをベースにしたレースマシンの生産で時代の寵児となっていました。日本で言えばヨシムラのイメージでしょうか)に売却され、リックマン-マチス・レーサーに用いられました。

 英国内でのエンフィールドは死に絶えました。しかし、その異形の継子は連綿と生きながらえていきます...インドにおいて。アジアの大国の中で、REは1955年当時のビュレットを(多少の改良は加えられたものの)半世紀以上に渡って忠実に作り続けているのです。
 そして長らくインドREは商標を自由に出来ませんでした(商標権の関係から、「Enfield」としてしか表示出来ませんでした)が、遂に1995年に「ロイヤル・エンフィールド」の名を獲得します。この頃から現REのオーナーは「俄然やる気」になっています。生産ラインの見直しに始まり、パーツの質的向上、車体信頼性の向上などに意欲を燃やしている様子。マサラパワーを得たRE、今後も目が離せません...

【Apparatus Criticus】

Royal Enfield (India)
http://www.royalenfield.com

RoyalEnfield.net
http://www.royal-enfield.net

Ianchadwick.com
http://www.ianchadwick.com

Motorcycles of 20th Century
http://home.planet.nl/~motors-20th-century/motors.html

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