Maker of the Month -July-
Matchless-AMC (1899-1969)



 マチレス。その名前は有名ですが、日本においては今ひとつ影が薄いのも事実。
 それはマチレスの最盛期が、日本がオートバイを輸入するには困窮を極めていた50-60年代初頭であったということ、そしてマチレスはブランドネームというよりもAMCの母体としての活躍が目立ったということ、などにあります。今回は「知られざる巨人」マチレス社の歴史ダイジェストです。

  マチレス社の歴史は、AJSのそれと似通っています。1891年、ヘンリー・ハーバート・コリアはロンドン郊外で自転車製造業をスタートさせました。そして1899年にはヘンリーの三人の息子たち(チャーリー、ハリー、バート)が協力してマチレス社という形態を整えた上で、彼らはMMC製2.75馬力のエンジンを自転車型フレームに搭載する実験に取りかかります。ほどなく性能面の問題から、彼らはJ.A.P.製Vツインエンジンを使用することに切り替え、さらにその年のうちにレースデビュー(ライダーは長兄チャーリー・コリア)を飾りました。

 そして1901年。遂に最初の市販マチレス車が誕生しました。そして1907年に行われた記念すべき「第1回マン島ツーリスト・トロフィー(TT)」において、チャーリー・コリアが駆るマチレス(433cc JAPエンジンを搭載)は、単気筒クラスで優勝したのです。
 この時の記録は4時間走行の平均速度61.49 km/h、燃費はリッター3 kmでした。現代から見るとえ?という数字ですが、100年前としては抜群のものだったのです。

 その後、1912年。マチレスは独自の488cc単気筒エンジンを製作します。当時はまだ自社製サイドカーにはMAG製1000ccVツインエンジンを使っていましたが、その後すぐに、250ccから990ccに至る単気筒/Vツイン、そしてサイドバルブ/OHVのラインナップを完成させました。(350ccOHCモデルもあり。)
 1930年には400ccVツインエンジンを完成させます。機構的には斬新な設計でしたが当時の技術ではコスト高になったこともあり、商業的には成功しませんでした。このエンジンは後に、OHCV4エンジンとして発展します。

 そして1931年。大恐慌の影響の下、マチレス社はウォルバーハンプトンのAJS社を買収し、AJSの生産拠点をロンドンに移します。マチレスはこの後、中心となってトラスト路線を選択し、ノートン、ジェームズそしてフランシス・バーネットなどを次々と合併し、AMC(Associated Motor Cycles)を形成します。続く第二次世界大戦下では、このトラストは軍需供出の為には大いに機能したのでした。

 戦後の1948年(発表は47年)。リジットフレームから脱却し、スイングアーム・リアサスペンションを備えた500ccパラレルツインが発売されます。後にこの車体は排気量を650ccまで拡大し、マチレス・ツインシリーズを形成することになります。戦前から続く単気筒の系譜も350cc,500ccのモデルがラインナップされていました。以下、ざっとこの後に続くモデルを年代と共に列記しますと:
1956年 「マチレスG11 スポーツツイン」発表
1958年 新型250cc/350ccモデル市場投入
1961年 「マチレスG12CSR」
1965年 「マチレスG15CS」(ノートン・ブランドでも発売)
1967年 「マチレスG80CS」
 そして1968年。AMCは倒産し、ノートン・ヴィリヤースLtd.として再生します。母体となったノートンの名前だけが残り、マチレスは完全吸収されます。そして1969年までには、マチレスの名前は完全に消え去ったのでした。
(1980年代、ロータックス製500ccOHCエンジンを積んだ単気筒マシンの名前としてマ
チレスの名は一度だけ復活しました。)
●マチレスは単気筒を得意とし、スクランブラータイプの車両の製作にも熱心だったため、初期のオフロードレースでも大活躍しました。
●もちろん、ロードレースの世界でもマチレスは活躍しました。単気筒レーサーがしのぎを削った50-60年代。レース上の主役はマチレスG50やBSAゴールドスターでした。

【Apparatus Criticus】

Motorcycles of 20th Century

http://home.planet.nl/~motors-20th-century/motors.html

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