Francis-Barnett "Pullman"1920s
トライアンフ、ノートンといった名前に較べ、日本ではあまり知られていないフランシス・バーネット(Francis-Barnett,以下FB)。その理由は、同社が目指した方向性にあります。FB社は「最速」でも「最高」でも無く、「大衆のための最良」のオートバイを目指したのです。
自動車メーカーとして名を馳せた「リー・フランシス」を設立したグラハム・フランシスの息子、ゴードン・フランシスは、父の血を受け継いで優秀な機械の才能を持っていました。 ※しかし、この父が創った自動車メーカー、リー・フランシスは大衆車に見切りをつけ、いわば当時の「スーパーカー」の生産に絞っていきます。このあたり、親子と言えど全く方向性が異なっています。)
第一次大戦後の混乱期にあった1919年、時代は経済的な交通手段を求めていました。そこで彼はアーサー・バーネットと組み、自らの思い描く新しい軽量オートバイを作製することにします。 彼らはコベントリー郊外のミッドランズを拠点としてオートバイの設計を行います。そして名作英国製オートバイ、「ベイリス-トーマス・エクセルシオ(Bayliss-Thomas Excelsior)」を生み出したのと同じ工場において最初の「フランシス・バーネット(以下FB)」オートバイが生み出されました。 このFBはJ.A.P.製292cc単気筒サイドバルブエンジンを搭載し、スターミー・アーチャーが設計した2速ギアボックスを備えていました。タンクの色は鮮烈な赤と黒。性能的には申し分なかったのですが、唯一の問題は当初の設計思想とはことなってしまい、価格は84ポンドという当時としては高額なものになってしまいました。
Based on an article written by John Baker & John Goodberry.
【Apparatus Criticus】 Francis-Barnett Owners Club http://www.francis-barnett.freeserve.co.uk/ Francis-Barnett Online Library http://www.users.zetnet.co.uk/Francis_Barnett/ ※画像並びに文章の引用・転載に際しては原著作者の許諾が必要です。 本稿は現作者の許諾の下に編集製作されています。 各画像をクリックすると、引用元にリンクで飛びます。