Maker of the Month -June-
Francis-Barnett (1924-1966)



Francis-Barnett "Pullman"1920s

 トライアンフ、ノートンといった名前に較べ、日本ではあまり知られていないフランシス・バーネット(Francis-Barnett,以下FB)。その理由は、同社が目指した方向性にあります。FB社は「最速」でも「最高」でも無く、「大衆のための最良」のオートバイを目指したのです。

 自動車メーカーとして名を馳せた「リー・フランシス」を設立したグラハム・フランシスの息子、ゴードン・フランシスは、父の血を受け継いで優秀な機械の才能を持っていました。
※しかし、この父が創った自動車メーカー、リー・フランシスは大衆車に見切りをつけ、いわば当時の「スーパーカー」の生産に絞っていきます。このあたり、親子と言えど全く方向性が異なっています。)

 第一次大戦後の混乱期にあった1919年、時代は経済的な交通手段を求めていました。そこで彼はアーサー・バーネットと組み、自らの思い描く新しい軽量オートバイを作製することにします。
 彼らはコベントリー郊外のミッドランズを拠点としてオートバイの設計を行います。そして名作英国製オートバイ、「ベイリス-トーマス・エクセルシオ(Bayliss-Thomas Excelsior)」を生み出したのと同じ工場において最初の「フランシス・バーネット(以下FB)」オートバイが生み出されました。
 このFBはJ.A.P.製292cc単気筒サイドバルブエンジンを搭載し、スターミー・アーチャーが設計した2速ギアボックスを備えていました。タンクの色は鮮烈な赤と黒。性能的には申し分なかったのですが、唯一の問題は当初の設計思想とはことなってしまい、価格は84ポンドという当時としては高額なものになってしまいました。

 ゴードン・フランシスはより価格を抑えつつも高性能な車体を作製するため、暖めていた設計を持ち出します。それは彼が大戦に従軍中に得た経験に基づいていました。当時のオートバイのフレームは基本設計が自転車のものであったため、しばしばフレームが壊れて大きな事故を引き起こしていたのです。
 彼は2本のメインフレームに6本の直管をつなぎ合わせたフレームを開発します。このフレームは横から見るとタンク下からエンジンを抱き込む逆三角形と、リアハブに繋がる三角形が組み合わさったものでした...つまり、立体的にエンジンを包み込む、という発想では現在のバイクフレームの構造の原型であったのです。
 新しいFB車のホイールは紡錘形のパーツで保持されており、脱着が非常に簡単な構造のため、パンクが多かった当時は高い評価を受けました。エンジンはヴィリヤース製147cc2ストローク。アルビオン製2速ギアボックスを備え、ベルトドライブ駆動でした。
 1923年に発売されたこのマシンは軽量・丈夫でメンテナンスも容易。そして懸案だった価格は25ポンドにまで抑えられていました。この価格はパーツ製造の際のコストを切りつめることでなしとげられており、パーツそのものは非常にしっかりとしたものでした。フレームにはなんと永久保証まで付けられていたのです。
 当然ながら、この小さなフランシス・バーネット車は市場に好評をもって迎えられました。「橋を造るように組み立てる」と評された製造工程は、また工業的にも多くのメーカーのお手本になりました。さらに同年、市場には250cc, 350ccの車体も投入され、こちらも好評を博したのです。

 FB社によってモーターサイクル業界にもたらされたインパクトの次なるものは、ヴィリヤース製344cc2ストロークエンジンを積んだプルマン(Pullman)でした。(※訳者コメント:私には、どうもFB社の方向性やネーミングセンスは、「変態」の名を冠されて愛される日本の某S社を思い出させます...このネーミングを含め、「チョイノリ」とか「バンバン」、「ハヤブサ」的なネーミングセンスが多数...)この車体は1928年に発売され、さらにこの後は時代の流行色を取り入れてクリーム色に塗られる様になります。
 1933年には250ccのクルーザー「スタッグ(stag)」が発売されます。この車体もFB社らしい発想に基づいたものでした。つまり「オートバイに乗るために専用装備を整えるのでは無く、旅をする普段着で乗れるオートバイ」ということです。車体には路面やエンジンからの汚れを服に付けないためのカウルを始め、その目的のための工夫が凝らされていました。
 1935年にはスタッグのブラックエンジン・OHV248ccモデルが発表されます。また、125cc実用車として人気を博した「スナイプ(Snipe)」、さらに小型車として98ccの「パワーバイク(Powerbike)」も売り出されました。
 第二次世界大戦の勃発までこれらのモデルは生産され、終戦後もただちに生産が再開されました。つまり、これらの2スト小排気量車は、市民の足として時代の要求に沿ったものであり、非常に好評を博していたのです。

 株式会社としてのフランシス・バーネットは1947年にロンドンのマチレスから発達したAMC(Associated Motor cles Ltd.)に吸収されましたが、その名前はブランドネームとして残り、この後もさらなるモデルが登場しました。
 「プローバー(Plover、2スト汎用モデル)」「ファルコン(Falcon...直訳すれば「ハヤブサ」ですね。)」「クルーザー(Cruiser...そのまんま。)」といった人気モデルは50年代を通じても売れ続けました。
 この時代には、イギリスの全土で「アーデン・グリーン」と呼ばれる若草色のFB車に跨って通勤する人々が見られたものでした。

 また、FBはオプションパーツの生産にも力を入れていました。オプションを組み込んだラインナップには、オフロードモデルも含まれていました。初期のモトクロスやトライアルでは、FBの車体が大活躍しました。オフロード用にはヴィリヤースのエンジンが使われていました。一時期はAMC独自のエンジンを搭載しましたが、こちらは不評ですぐにヴィリヤースエンジンに戻りました。

 右の写真はアメリカで現在も走っているスペシャルモデルです。各種のカスタムビルダーによるスペシャルマシンが創られ、オフロードレースを席巻したのでした。
 しかし、戦後の復興が進むにつれ、市場の要求は変化していきました。60年代始めにはコベントリー工場は閉鎖されてFB生産の拠点はバーミンガムに移され、FBと同様にAMCに吸収されていたジェームズ社と一緒にされました。そして悲しむべきことに、この後のモデルはFBとジェームズの車体を組み合わせた様な物が中心になり、またFB車とジェームズ車はタンクバッジや車体色だけが異なるものになったのでした。そして1966年には、AMC自体が操業を停止し、ここにFBの歴史は終わったのでした。
 しかし現在に至るまでも、フランシス・バーネットは多くのイギリス人の手によってレストアが続けられ、走り続けています。世界的なマーケットでこそ成功しなかったかもしれませんが、フランシス・バーネットとは、イギリス人の生活の中に生き、そして最も愛され続けているバイクなのかもしれません。

Based on an article written by John Baker & John Goodberry.

【Apparatus Criticus】


Francis-Barnett Owners Club

http://www.francis-barnett.freeserve.co.uk/

Francis-Barnett Online Library
http://www.users.zetnet.co.uk/Francis_Barnett/

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