Maker of the Month -May-
Vincent H.R.D. (1924-1955)


Vincent Series B "Rapide" 1947

 ヴィンセント。語感までも格調高いこの名前は、誰の口からも憧れをもって語られます。芸術的な車体を愛することに執念を燃やすイタリア車ファン、精緻な機械を好むドイツ車ファン、そしてもちろん日本車ファンからも「あれだけは別格」として崇拝されるヴィンセント。
「イギリス車」というもののある種の頂点にあるオートバイの王家、ヴィンセントが今回のテーマです。

 HRD株式会社は、ハワード・R・デイビスによって1924年に創立されました。デイビスは非常に成功したレーサーであり(サンビームの項参照)、また優秀なエンジニアでもありました。彼はOHV490ccのJAPエンジンを搭載した自作レーサーで、1925年のジュニアTT(昨年、Daytona600 が制覇したクラスでb制覇しました。翌27年にも、フレディ・ディクソンをライダーとしたHRDレーサーが同じクラスを制しています。
 1928年、デイビスはあっさりとこの会社を手放します。最初はビル・ハンフリーが買い取りますが、彼はすぐにこの会社を売却。最終的に買い取ったのは、若いエンジニアであったフィル・ヴィンセントでした。ここに「The Vincent HRD Company Ltd.」が誕生したのです。本拠地はハートフォード州のスティーブンエイジでした。

 ヴィンセントHRDの名の下に生産された車体は、JAPエンジンやRudge-PythonエンジンとBurman製ギアボックスの組み合わせでした。フレームは基本的に同一で、リアはカンチレバー・サスペンションを採用していました。その後は長くツインショックの時代が続きましたが、、ヤマハによってモノサスペンションが実用化されるよりも30年早く、同種のサスペンションシステムを構築していたのです。
 1932年、フィル・アービングという名のオーストラリア人エンジニアが入社し、エンジンの設計に携わります。1934-35年にかけてヴィンセントはアービングの手になる496ccハイカムOHVエンジンを生産するようになります。これは「Series A ヴィンセントHRD」と呼ばれる様になりました。「Series(シリーズ)」Aの由来は、同じエンジンでありながらメテオ(Meteor)、コメット(Comet)そしてコメットスペシャル(Comet Special)という3種類の異なるチューニングがほどこされたモデル(メテオはマイルドな乗り味、コメットスペシャルはワークスレーサー風、そしてコメットはその中間)が生産されたためです。といってもこれらのモデルの差はキャブレター、ピストンとカムシャフトの変更によるものであり、アービングの基本設計の確かさを裏付けるものでした。コメットスペシャルだけは差別化のためにブロンズヘッドが使われていました。(ヒンクレー・トライアンフが同一3気筒エンジンをクラシック系からスポーツ系まで幅広く応用したのに似ていますね。)
 そして1936年、時速100マイル(160km/h)の扉を開いた988cc 50度Vツインエンジン搭載の名車「Series A Rapide」がついに発売されます。Rapideはその速度、性能と共に、エンジン内外に複雑に張り巡らされた(整備に非常に苦労する)オイルラインと燃料系によって「配管工の悪夢(Plumberユs Nightmare)」という二つ名でも有名になりました。
 また同時にこのVツイン車の誕生に際しては有名な伝説があります。コメット改良のため薄紙に書かれていた2枚の単気筒エンジンの設計図が、たまたまクランク部分が重なるようにずれた状態で重なったのです。それを見たエンジニアがピンとひらめき、Vツインエンジンの誕生とあいなったのでした。
 ハンドリングは当時としては最高のものであり、ブレーキ性能も秀逸。Rapideの名前は当代最高のモーターサイクル、として名声を獲得したのでした。しかしクラッチとギアボックスは有り余るパワーを受け止めることが出来ず、良く破損しました。Series Aの単気筒及びVツインモデルの生産は第二次世界大戦の勃発まで続けられました。

 そして戦後。戦争の痛手のため、ヴィンセント社は生産再開までかなりの時間を要しました。1947年、ついに998ccのニューモデルSeries B ラパイド(Rapide)が誕生します。しかし発表されるやいなや、このシリーズBも「さすがはヴィンセント」と世間をうならせたのでした。
 目立つところだけでも、エンジンとギアボックスが一体式のエンジンとなっており(当時は、そしてその後長らくも別体エンジンが普通でした。例えばトライアンフが一体化(ユニット)エンジンを中心に生産するようになったのは60年代です)、フレーム自体もそれまでのフレームの概念を覆す構造が採用され、エンジン自体が車体剛性の一部を担っていました。(エンジンがフレームの一部を構成するトラスフレーム構造が一般的になったのは、実に1980年代になってからです。)フロントフォークはL字型のステアリングヘッドラグを介したBramptonガーダーフォークであり、タンクを介してリアのカンチレバーサスに繋がる構造でした...要するに、エンジン、F/Rサス、オイルタンク...と分割してしまうと、「フレームというものが存在しない」という画期的な設計だったのです。

 1948年、998ccのSeries B ブラックシャドウ(Black Shadow)が発売されます。この車体はラパイドよりも過激なカム、ピストン設定であり、大径キャブを備えており、このブラックシャドウは、Series Bに変更を受けたラパイドと区別するため、その名の通り焼き付け塗装された真っ黒なエンジンを搭載していました。Series Bの単気筒モデルは「メテオ」だけがラインナップされていました。また、Bramptonガーダーフォークは暫くしてすぐに自社製のGirdraulicフォークに変更されました。これはガーダーフォークとテレスコピックフォークの利点を組み合わせた画期的なものでした。また、この変更に合わせパーツも重い砂型鋳造から軽く作ることの出来る金型鋳造へと変更されました。(エンジンなどの鋳物の部品を作るには、型が使われます。このうち、砂型は安価で、しかも修正が容易ですが鋳造製品が肉厚になりがちです。一方金型はより精緻で軽量なパーツを作ることが出来ますが、型そのものが高価です。従って、エンジンを設計した最初は砂型で作り、改良を加えた後に金型に変更する、ということが良く行われます。ヒンクレー・トラも95年式のサンダーバードくらいまでは砂型で、それ以降は金型が使われています。なお、「味」のある外観という意味では砂型の方に軍配が上がります。)
 リアサスペンションにはダンパーが追加され、前後にダブルブレーキが装着されました。これらの改良がなされつつ、次代のSeries Cが登場します。
 新しいVツインモデル、Series C ブラックライトニング(Black Lightening)は1948年末に発表されました。このマシンは最初からレースを見据えたものであり、カムやピストンは同時に発表されたラパイド、ブラックシャドウモデル(一般ロードユーズ向き)よりも過激な設定でした。大径スピードメーターとタコメータが装着され、ヘッドライトなどは装着されていませんでした。またSeries Cでは単気筒モデルとしてコメットとグレイフラッシュ(Gray Flash)が生産されました。カム設定などはコメットはブラックシャドウと同じであり、グレイフラッシュはブラックライトニングと同じでした。つまり、グレイフラッシュの方がよりスポーティなモデルでした。

 1949年、時代を先取りした設計を次々と生み出した天才、フィル・アービングが会社を離れます。そして1950年、ハーレーダビットソン(H.D.)と紛らわしい、というアメリカの消費者の意見(アホか...)によって、H.R.D.の文字が社名から消えました。
 1954年、Series Dが発売されます。このモデルは先行のB,Cから大きく変化し、なんとフルカウルのマシンでした。点火系はマグネトー点火からコイル点火に変更され、特徴的だったフレームの一部を構成していたオイルタンクは無くなりました。
 Series Dのモデルはラパイド、ブラックシャドウに変わりBlack Knight(ブラックナイト)とBlack Prince(ブラックプリンス)として発売されました。しかし市場の要望が高かったことから、後にSeries Dのネイキッドモデルとして1955年にラパイドとブラックシャドウが発売されます。単気筒では唯一、コメットの後継モデルとして500ccのSeries D Victor(ビクター)が生産されました。

 これまで述べてきたヴィンセントの歴史...読まれた方は「年号が間違っているんじゃないの?」と思われたのでは無いでしょうか。ユニットエンジン、カウル装着、等々ノその技術は最低でも10年以上業界を先取りしたものだったのです。というか今私たちが市場で買うことの出来るバイクのメカニズムは、その多くが半世紀以上前にヴィンセントが構築したものなのです。
 このような時代を先取りした完璧なオートバイは、当然非常に高価なものになります。お金持ちしか買えない品物を、ハンドメイドで少数ずつ生産し続けるというのはあまり利益の上がる商売ではありません。オートバイ乗りの憧れ、象徴として君臨したヴィンセントという王家の最後の「黒太子」ブラックプリンスは1955年12月16日にロールアウトし、ヴィンセントの歴史に幕が降りたのでした。


 以下は、ヴィンセントの車体に付属していたライダーズハンドブックの「馴らし運転」に関する一節です。流麗な文章で語る内容は、自社製品に関する誇りに満ちています。(ある意味、ここまで大仰に書くことでは無いので思わず微笑んでしまうようなものですが...このようなハンドブックにもゆとりがあった、素晴らしい時代と言えるのでは無いでしょうか。)

「馴らし運転の時期は、このような超絶的な性能を備えたモーターサイクルに乗ったことが無かった方にとっては、その能力をかいま見るにちょうど良い期間となることでしょう。
 しかしこのような方には、強く申し上げたいのです。この車体のエンジンのスムーズな回転、そしてフレームやサスペンションの高性能さは貴方を幻惑してしまい、実際に出ているスピードを低く見積もらせがちです。
 したがってコーナーに飛び込む際などには特に、スピードメーターを注視することが賢明です。さもないとこの素晴らしい車体は、安全とはほど遠いスピードであなたをコーナーに向かって運んでしまうことでしょう。」

【Apparatus Criticus】

Harris Vincent Gallery
http://www.harrisvincentgallery.com/
美しい写真満載です。Drivewayにある動画は必見!

Motorcycles of 20th Century

http://home.planet.nl/~motors-20th-century/motors.html

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