Maker of the Month -February-
BSA (1903-1973)

 バイク好きになるよりも早く戦史好きであった僕にとっては、BSAはバイクメーカーとしてよりも「バーミンガム小火器工廠(Birmingham Small Arms)」として脳裏に焼き付けられていました。(バイクブランドとしての)BSAの名前を知ったとき、「え?BSAってバイクも作ってたの?」と驚いたのは...どうやら一般とは順序が逆の様です。

 BSAの歴史は非常に古く、17世紀末にまで遡ることができます。当時、イギリス軍の兵器の質が悪く、またそのほとんどをオランダからの輸入に頼っていることを憂えた英国王・ウィリアム三世が王室兵站局に命を下し、1692年にバーミンガムの5人の親方と契約を結んで専属の鉄砲鍛冶として働かせたことに端を発します。
 それから150年間に渡ってこの契約は続きましたが、産業革命の時代を迎え、クリミア戦争(1853-1856)の際に、14人の鉄砲鍛冶がそれまでのギルド体制を変革し「バーミンガム小火器取引協会(Birmingham Small Arms Trade Association)」を興します。さらに1861年、この組織は「バーミンガム小火器会社(Birmingham Small Arms Company)」として発展し、1863年、バーミンガム近郊のスモールヒース(Small heath)」に工場が設立されました。

 しかし1880年ごろには小火器市場が縮小に向かっていたため、この時代にBSAは新たな製品市場を模索します。その中で白羽の矢が立ったのが、自転車と三輪車(当時は軍事物資の輸送に良く使われていました)の生産でした。今も昔も、円筒素材の加工には高度な加工技術が要求されます。この分野では銃身製作などにより他の追随を許さない技術を持っていたBSAの作る自転車のフレームは、強度・質ともに最良のものであったため、市場の評判は非常に良く、BSAの名前を高めました。


 この勢いを駆って、BSAはオートバイの生産に乗り出します。(当時は自転車にエンジンを付けたものがオートバイですから、極めて自然な流れだったのですが。)
 1903年、233ccモデルが試作され、さらに1909年には3馬力のベルトドライブ・オートバイを50ポンドで販売します。この製品はすぐに様々なバリエーションを生み、チェーンドライブを採用した「H」モデルなどによりBSAの名声はますます高まりました。
 1914年に第一次世界大戦が始まると、BSAの主力商品は再び小火器に戻ります。有名なルイス機関銃は実に14万丁以上が生産されました。その一方、世界初の折り畳み自転車、航空機部品や薬莢などの分野にもニーズに合わせて進出しました。1910年にはダイムラー社を傘下におさめ、自動車産業にも参画しました。また、第一次世界大戦にイギリス軍がソンム戦線に投入した新兵器「タンク(戦車)」のギアボックスもBSAの手になるものでした。

 第二次世界大戦が始まったころには、スモールヒースは工場地帯となっており、BSAが所有するものだけでも67の工場がありました。この時代には126,000台の軍用オートバイ、「M20(WM20)」を生産しています。
 そして戦後。ヨーロッパでオートバイの一大ブームが巻き起こります。ブーム、というよりも精確には戦後の物資不足の中で、価格が安く、足として耐えうる移動手段としてその性能が時代に要求されたわけです。
 BSAはデザイン的にも機械的にも革新的な機軸を沢山打ち出し、またその基礎技術の開発にも余念がありませんでした。この様な中でBSAは家庭用電気機器からオートバイ、自動車(ダイムラーに加え、ランカスターも買収)までを手がける巨大企業になっていました。
 さらに1951年、トライアンフ社を買収し、BSAは名実ともに世界最大のバイクメーカーとなりました。(ですが、資金経営面での後ろ盾のみで、トライアンフはほぼ独立したメーカーとして存続を続けます。)この時代にBSAは、トライアンフとの技術交換を通じてA10 Thunderboltなどの名車を数多く生み出しています。しかし何と言っても、BSAと言えばその代名詞とも言えるのがDBD Goldstarでしょう。500cc単気筒のこのマシンは、戦後から50年代まで、世界最高のレースマシンであり、世界中のメーカー、そしてライダーの憧れの的でした。マン島TTでもはたまた日本の浅間レースでも、ゴールドスターは向かうところ敵なしの強さを見せつけました。またその美しく完成されたデザインは、今もって単気筒の最高傑作と称えられるものです。

 しかし1960年代になると、敗戦国であった日本とドイツの工業製品がイギリスの市場を脅かし始めます。このような中で産業保護政策を打ち出した政府の方針に従い、斜陽にあったトライアンフ社,ノートン社を本格的に取り込んだことで、逆にBSAの屋台骨が揺らいでいくことになります。
 経営の合理化の面から、BSAはそれぞれのブランドは維持しつつ、スモールヒース工場で一括生産を行おうとしました。それに対して職を失うことを恐れたトライアンフ・メリデン工場の従業員が猛反発。イデオロギー闘争全盛という当時の時代背景もあり、大きな労働争議へと発展していきます。この労働争議による生産の悪化は、さらなる経営の悪化をもたらすという悪循環に陥ることを余儀なくされました...

 1971年にはかつては子会社であったNVT(ノートン・ヴィリヤース・トライアンフ)に買収されなおしますが、事態の解決には至りませんでした。そして2年に渡る闘争が終わったときには、勝者はどこにもいませんでした。7000人以上が失業し、ノートン社のウォルバーハンプトン工場、そして遂に1973年、BSAのスモールヒース工場が閉鎖されることによってBSAの歴史はいったん幕を閉じます。


 しかし、これで完全にBSAのオートバイ生産の歴史が終焉したわけではありません。現在に至るまで少数の中排気量バイクがデザイン、生産され続けています。
 英国内におけるBSAの名称使用権はCanadian Aquilini familyが買い取り、BSA Co.の名称はアメリカの企業、Bill Colquhuon's BSA Co.が買い取りました。
 1976年、一部の技術者によってヤマハとモリーニのエンジンを使用したバイクが生産され、さらにオートバイ部門の経営権を買い取ったバーティ・グッドマンとウィリアム・コルクホーンによって小排気量車を中心に生産が続行されました。英国内ではヤマハエンジンを搭載したBushman(バンタムの系統を引くブッシュマンとはまた別物)が生産され、さらに250ccロータックスエンジンを搭載したマシンは軍のトライアルにも合格して採用されます。またブルックボンド社との協同のもと、インドに向けて50ccバイクエンジンを輸出したりもしています。1986年にコベントリー市内(このころの生産拠点)で暴動が起こってからは、グローチェスターのブロックリーに移転しました。

 1991年、Andover Norton International社とBSA Co.が合併してBSA Groupとして再スタートを切り、さらにこれが1994年にBSA Regal社へと発展します。BSA Regal社は今でのNorton用サプライパーツの供給を続けており、またBSA Regal社がヤマハSRのエンジンを用いて作製したGold SR500は日本でも有名です...というか、初回生産分は「全て日本人が買い取った」そうです(笑)。

【Apparatus Criticus】
BSA Regal
http://www.bsa-regal.co.uk/

Motorcycles of 20th Century

http://home.planet.nl/~motors-20th-century/motors.html

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